< 四 >
株式相場がどうであれ、
証券口座の持ち株は、様々だ。
証券のジムか病院のようである。
あくまで含み益であるが、利益の出ているもの。
含み損であるが、損失の出ているもの。
利益確定をしていないのに、含み益があると嬉しいものである。
含み益が増えていくと気分揚々となる。
利確をしないのに毎日チェックする。
入院の必要のない健康体の健康診断に精を出す。
損失確定をしていないのに、含み損があると悲しいものである。
苦しいと神頼みするが、
含み損が増えていくと絶望し、
損確もしていないのに直視しようとしない。
臭いものに蓋をするように。
そして、どんどんと損失が拡がっていく。
手当の必要な患者を診ようとしない。
傷の手当もせずに、ただ、時の流れに身を委ねる。
人は不思議なもので、
置かれた環境で、物事を同じように見ることがでなない。
医者や看護師であれば、それは失格である。
投資家としても、それは失格である。
プロでない投資家に、失格という言葉は厳しいが。
辛さや痛さから、離れようとするのは自然なことだ。
関わりたくない。
出来ればだ。
それを、株式相場まで持ち込んでいる。
しかし、
それらは、望まずとも向こうからやってくる。
どの患者に対しても同じように診るべきだ。
そして、傷口は対処しなければならない。
消毒し、縫うなり、包帯で巻くなり、
傷口が拡がるようだと、切除しなければならない。
診断の結果によっては、損切りも必要だ。
買い直せば助かる可能性もある。
でなければ、
強制逆決済か、投資活動停止の塩漬けだ。
自然治癒レベルでなければ、
放置は悪だ。
事態は好転しない。
何事においても。
社会を見れば分かる。
皆が不幸になる。
私はこれで退場しました。
そう
だから、もう一度、諦めないで。
いつかは、誰でも株の謎が解けて、ポジションを持たずにいられなくなる。
ダンさん、こんな気持ちに揺れてしまうのは、君のせいかもしれないんだぜ。
レイディオ ショー
バイなら
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